その他

熊本地震から2年が経ちました。

昨日は熊本地震から2年目の日、明日は本震から2年目となります。

前震の際、ここ高森も、今までに経験した事のない揺れを感じました。震源地を検索すると益城町の文字。目を疑いました。

私の実家はというと、震度7が襲った益城町にあります。テレビを付けると懐かしい見慣れた風景が。朝を待ち、色んな物資を積み、実家へ行きました。

道は盛り上がり、実家の塀は崩れ、家の中はグシャグシャ。親は、地震でタンスが倒れてくる中、外の何も無い安全な場所へいてくれたおかげで、頭を少しぶつけた位で済みました。

立っていたら倒れそうになるので、座り込んだら、それでも倒れそうになる、そんな揺れが何度も襲ってきて、電柱も倒れるんじゃないかと思う位ゆらゆら揺れ、とっても奇妙な光景で、ただただ怖かったと話していました。

私たちが出来る事と言えば数少なかったのですが、倒れたタンスを立て直し、掃除をして、どうにか生活が出来る位にして、高森に戻りました。

その夜中に、本震。前震の時には、全く起きなかった子どもたちが飛び起きました。
外は今まで聞いたことのない警報音が鳴り響き、恐ろしい光景でした。私は無我夢中で子どもたちを守ることだけを考えていました。

高森町は、震度5強だったと思います。直接的な大きい被害こそなかった様ですが、ライフラインの遮断、市内へ向かう主軸となっていた俵山トンネルと阿蘇大橋の崩落により、気持ちは孤立状態の様でした。
後々にそれが、観光業に大打撃を受けることになっていた様です。

そして、隣の南阿蘇村では震度6の地震が襲い、甚大な被害が出ていました。ただ、この時は全く情報が入らず、状況が飲み込めずにいました。

アスカ内も電気が消え、ガラスが所々割れて落ち、小さな柱も少しずれている箇所もありました。
靴屋店内は靴があちらこちらに散乱していました。所々では足の踏み場も無いようでした。

私自身は、本震の時から携帯の電波が無くなり、水、電気が使えない状態となりましたが、幸いにもガスと自宅は無事でした。

携帯と電気も使えず、情報が全く入らないという怖さがある中、トンネルと橋が落ちたらしいよと聞き、全く信じられませんでした。

そして、実家の親は無事なのかと考えては、何もしてやれない自分が悲しく、涙もろくもなっていました。公衆電話が、駅や役場、交流会館にありましたので、そこをはしごしながら、親と連絡を取り、声を聞けたことでお互い安心できていました。

水は幸いにも湧水で有名な高森町。毎日毎日、湧水を汲みに行き、同じように多くの方が来られていました。地震の影響で、湧水が出なくなった場所もある中、とても貴重な水源でした。

毎日、何気なく使っている水。一苦労で汲んできた水もすぐ無くなってしまいます。

当然のことながら、洗濯、お風呂、食料でさえもままならない状態でした。
蘇陽町の方に登れば、コインランドリーや温泉施設、携帯の電波も届いたので、用を済ませながら、心配してくれていた友人達などに連絡をとっていました。ただ、携帯充電は役場で行わなければならず、貴重な電池だった為、頻繁に携帯を使うことも出来ない状況でした。

どの位期間がかかったのかはもう忘れてしまったのですが、電気が付いていた夜はとっても感動したのを覚えています。しばらくして、全てのライフラインや携帯の電波などなど復旧して今があります。

多くの方々が高森町に支援に来てくれ、復旧を手助けしてくれたおかげで、今の高森町、私達があるのだと感じています。本当に言葉では感謝しきれません。ありがとうございます。

地震という、いつ起こるか分からない自然災害の中で、どう行動するのか、何が必要なのかと、決して他人事と思わず、もしもの時の為に備えておくことの必要性を痛感しました。そして、普通の生活が送れる事が何よりも幸せだということも気付かせてくれました。

最後になりましたが、この熊本地震で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。そして、風化していくことがないように語り続けていくことの大切さを感じています。

とりとめのない文章となりましたが、読んで頂きありがとうございます。

ABOUT ME
Asuka
Asuka
熊本県高森町にある靴屋Asukaです。 ここに嫁ぐ前は看護師として病院に勤務していました。 結婚を機に靴屋の2代目嫁として、靴のことなど勉強中です。 まだまだ知識としては不十分なことも多いので、知識を増やす目的も含め、ブログを立ち上げました。 主に商品紹介と共に、その他日常の事など記載していきたいと思います。 宜しくお願いします。